1955年頃、アイラシュカーラーの源はアメリカ製でした。当時の日本では、アメリカ製品をアメヤ横丁(東京都台東区上野)にあり、一流品と言える化粧品はすべて輸入品。それらを手に入れられる唯一の場所であった「輸入化粧品店」私たちは一流品を購入して、「見よう見真似で、鉄線を丸めて、切って、穴を開けて」、ほとんど手作りでコピー品を造り始めたのです。
それから10年が経過した1965年頃には、テレビの普及とともに歌番組に出演していた歌手(アイドル)例えば、和田アキ子さん達が目の周りを化粧することを始めました。そのひとつがつけ睫毛(まつげ)でした。
自分の睫毛とつけ睫毛を一体化するために、アイラッシュ・カーラーが必要となりました。これがアイラッシュ・カーラーの大きな需要を生み出し、私たちメーカーは必然的に量産化を要求され、それに応えるべく技術開発に力を注ぐこととなりました。
量産化を実現する為には新規の金型を開発しなくてはなりません。一流品を購入して見よう見真似ではじめた私たちでしたが、10年の歳月の中で数えきれない課題に遭遇しながら成長を積み重ね、その結果、当社は、日本初の量産用金型を完成させることができました。この製法は現在も当社を始め他社でもアイラッシュ・カーラーの製造方法として採用されていいます。
私たちは、45年以上も前に高品質のアイラッシュ・カーラーを造る技術を得ることができました。現在は、日本だけではなくアジア圏の身近な国でもアイラッシュ・カーラーが数多く製造されています。しかし、私たち日本のアイラッシュ・カーラー製造メーカーが苦労を重ねて掴んだ数多くのノウハウは容易に真似できるものではありません。
一度、使い比べて頂ければ、その違いを感じ取って頂けるものと思います。そして、5年、10年とながく使い続けて頂ければ、「壊れない東京カール製品の質」を体感して頂けると思います。